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天文館史跡めぐり(第3回目 俊寛の碑)


皆さん、こんちには。。
第3回目の天文館史跡めぐりは「俊寛の碑」です。
照国表参道側から西本願寺に行く右側の一つ目の筋を過ぎた辺りにあります。

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≪俊寛とは≫
平安時代の後期の真言宗の僧で、僧位の「僧都(そうず)」を冠して「俊寛僧都(しゅんかんそうず)」とも呼ばれています。

≪なぜここに碑があるのか?≫
安元3(1177)年に藤原成親、西光らの平氏打倒の陰謀に加わって、鹿ケ谷の俊寛の山荘で密談が行われました。しかし、密告により陰謀が露見され、俊寛と丹波少将成経(たんばのしょうしょうなりつね)と呼ばれた藤原成経と平判官康頼(へいほうがんやすより)と共に鬼界ヶ島即ち現在の硫黄島に島流しとなったのです。藤原成経と平判官康頼は千本の卒塔婆を作りました。その一本が安芸国厳島(広島)に着き、平清盛に届け心に打たれ、平清盛の遣いが硫黄島に迎えに行きこの二人は恩赦により無事帰ることが出来ました。しかし俊寛は卒塔婆に参加しなかった為、陰謀の張本人という事で許されることが出来ず、一人残ることになり、俊寛は硫黄島で寂しい生涯を送りました。この俊寛の話は平家物語の一下りとして有名な話です。
その硫黄島に向かう船出の場所がこの近辺でしたので、ここに碑ができました。また明治30年頃まではこの付近を「俊寛堀」と呼んでいたそうです。

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俊寛の話は、歌舞伎の中村勘三郎さんと勘九郎さん・七之助さん親子が約15年ぶりに硫黄島で演目し「また15年後に孫と一緒に親子三代でしたい」と話した事でも有名です。残念な事に勘三郎さんはお亡くなりになり、叶わなくなりましたが、是非また俊寛を硫黄島で演目して欲しいなと願っております。

2015-04-07 | Posted in お知らせ, 天文館の史跡めぐり, 新着情報ブログComments Closed