天文館の史跡めぐり

天文館の史跡めぐり ~第12回 西郷隆盛銅像~


皆さん、こんにちは。。
今回の紹介は西郷隆盛銅像です。
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“西郷さん”と誰もが知っている人物ですが、鹿児島県民では“せごどん”で親しまれています。
西郷さんは文政10(1827)年12月7日、鹿児島城下の下加治屋町で生まれで、名前は一生のうち8回位変わり、最後は“隆盛”となっていますが、本当は“隆永”で隆盛はお父さんの名前です。明治に入った際に、政府の任命式で西郷さん自身もお父さんの名前を呼ばれた時、驚いたそうですが、まっいっか!という事でそれ以降本人も隆盛にしたそうです。
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西郷隆盛銅像は西郷没後50年の時に彫刻家の安藤照氏が作成し昭和12年に除幕されました。陸軍大将時代の姿なので脱帽しています。
この姿は明治6年千葉県習志野市で陸軍大練習をしてたある日に、天皇陛下をお守りするはずの番兵がいないのに気付いた西郷さんが、天皇陛下に万一の事があってはと思い、雨に濡れながら一夜限りお守りしたそうで、その時の様子を作成した為、脱帽しています。

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銅像近くには写真が撮れる場所もありますので、是非西郷さんをバックに写真を撮ってみてはいかがですか?
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2016-02-28 | Posted in お知らせ, 天文館の史跡めぐり, 新着情報ブログComments Closed 

天文館の史跡めぐり ~第11回 私学校跡~


皆さん、こんにちは。
今回は「私学校跡」です。
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私学校は元々は前回紹介した鹿児島城(鶴丸城)の一角で馬小屋でした。
明治6年西郷隆盛は征韓論に敗れてしまい、鹿児島に帰ります。
明治7年西郷隆盛は時の県知事でした大山綱良の力を借りて、鹿児島の復興の為には若い青年達の育成が必要だと感じ、薩摩の青少年の為に私学校を創設します。
学校と言っても勉強だけではなく鉄砲・武術・また戦だけでなく農・工・商・思想を教え育てました。
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しかし明治10年、私学校の生徒達は西郷隆盛の心を知らずに政府に攻撃をしかけます。これが西南戦争の始まりです。
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わずか4年で私学校はなくなりましたが、現在もその西南戦争の弾痕の跡があり、当時の戦の凄さを見ることが出来ます。
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2016-01-31 | Posted in お知らせ, 天文館の史跡めぐり, 新着情報ブログComments Closed 

天文館の史跡めぐり ~第10回 天璋院篤姫像~


皆さん、こんにちは。。
今回紹介するのは徳川13代将軍家定公の御台所となった「天璋院篤姫」です。
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場所は前回紹介した鹿児島城(鶴丸城)の中にある黎明館の近くにあります。
今から約7年前の2008年にNHK大河ドラマ「篤姫」で一躍有名になりました。
実は天璋院篤姫に関する資料はあまり残されておらず、時代考証や様々な文献を元に大河ドラマは放映されたました。
篤姫は島津の一門家で今和泉の領主島津忠剛の娘として鹿児島市大龍小学校付近で生まれ、名前は「於一(おかつ)」でした。(一子とも呼ばれていました)
その後島津28代斉彬の養女となり、名前を「篤姫」と改名し、約3ヵ月間鹿児島城(鶴丸城)でお姫様教育を受けました。

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そして19歳の頃、京都の近衛家の養女となり「敬子(すみこ)」と改め、近衛家から将軍の御台所としてお輿入れしました。御年22歳の事です。
しかしお輿入れの翌年不運にも夫である13代将軍家定公は35歳の若さで亡くなり、篤姫は髪を下して「天璋院」と号されたのです。
天璋院は家定公が亡くなった後も大奥に残り、14代家茂の御台所和宮公との派閥争いもありましたが、のちに仲良くなり、江戸城明渡しの最後の日まで大奥を守ったといいます。
天璋院の性格は活発で才女だったらしく、実の父親である島津忠剛は「於一が男の子だったらどんなによかったか」と評価しています。また「女の道は一本道、一度引き返したら恥」と信念を貫き、江戸城明渡の前に西郷隆盛が篤姫に薩摩に戻りませんか?と言っても、自分は徳川の人間なのでと鹿児島に帰るのを拒否し、一度も鹿児島に帰ることはありませんでした。
明治に入り天璋院は徳川家の援助で生活しました。残念な事に子供は出来ませんでしたが、16代徳川家達公を我が子のように可愛がり無事婚姻を見届けたあと、徳川宗家邸で48歳で亡くなりました。

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家達公は天璋院の為に寛永寺にある13代将軍家定公のお墓の隣に天璋院のお墓を作ったそうで、今でも天璋院のお墓には鹿児島から取り寄せた枇杷の木が置かれています。
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2015-12-21 | Posted in お知らせ, 天文館の史跡めぐり, 新着情報ブログComments Closed 

天文館全員集合 スマイル3DAYS


皆さん、こんにちは。。
12月11日・12日・13日の3日間、天文館全員集合3日間限りのスペシャルセール&大レシート抽選会が天文館で開催され、この3日間各通りで様々なイベントも行われます。
大レシート抽選会ではなんと新車NISSAN DAYZの新車が当るなど、商品総額1,000万円、商品総数10,000点の景品が準備されています。
天文館全てのお店で12月11日(金)~12月13日(日)の3日間にご利用されたレシートの合計金額5,000円毎に1回抽選いただけます。
そして天文館共通商品券10%お得のプレミアム付商品券(1セット10,000円)も販売します。
お一人様3セット3万円まで購入できます。13日までの販売ですが、数量限定の為売切れ次第終了になります。
抽選会及びプレミアム商品券販売場所は下記の通りです。

 

天文館全員集合大レシート抽選会及びプレミアム商品券販売
期間:12月11日(金)~12月13日(日)
場所:天文館ぴらも~る(鹿児島銀行ATM前)
時間:午前11時~午後6時まで。
*プレミアム商品券のみ売切れ次第終了になります。

問合せ:We Love天文館協議会 Tel:099-210-7133

2015-12-03 | Posted in お知らせ, イベント情報, 天文館の史跡めぐり, 新着情報ブログComments Closed 

天文館の史跡めぐり~第9回 鹿児島城(鶴丸城)跡~


皆さん、こんにちは。。
今回の天文館史跡めぐりは「鹿児島城(鶴丸城)跡」の紹介をします。
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鹿児島県民にとっては「鹿児島城」より「鶴丸城」で親しまれていますが、鶴丸城の名前の由来は鶴が羽を広げたような造りでしたので鶴丸城と呼ばれるようになりました。
鹿児島城は元々城山展望台の所にありました。上山氏のお城があったそうで(城山という名前は山の上に城があったので「城山」という名前なったそうです。)のちに島津氏がその城をもらい島津19代家久公が現在の場所に1601年(慶長6年)に築城し、1603年に北に本丸、南に二の丸の造りの鹿児島城が完成しました。
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普通お城と言いますと、天守閣を想像するかと思いますが、鹿児島城は「人をもって城となす。つまり、教育をもって城となす」と言うことわざの通りで天守閣はなく、屋形造りの居城でした。
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その後は鹿児島城は薩英戦争や鹿児島大空襲などで焼かれてしまいました。
現在残っているのは土台の城壁のみとなっており、その敷地内に鹿児島歴史資料センター黎明館と県立図書館があります。また最近では鹿児島城の正門にあたる御楼門を復元する作業が進められています。
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2015-11-29 | Posted in お知らせ, 天文館の史跡めぐり, 新着情報ブログComments Closed